環境保護
個性教育
法と善悪

個人的には他人の違法行為を指摘・批判するのは嫌いだ。違法行為をした
ことのない人間などいないだろうから。ヒトは皆、知らず気付かず、何らかの
違法行為をおこなっているはずだ。

もし、他人の違法行為を批判すれば、それは自分の違法行為は棚に上げ、
他人の違法行為には批判するという恐れを孕んでいる。ゆえに、 他人に損
害を与えるような違法行為でさえなければ、安易な批判は避けるべきと考え
る。

そもそも、違法と悪を混ぜて解釈する人間が多すぎる。それらは全く別のモ
ノだ。違法が悪だとは限らない。

例えば、子供の交通事故死が起きた交差点などで、花や人形などを供える
場合がある。その行為や精神に悪性を見出すことなど、まずありえないだろ
う。
しかし、法的側面で判断すれば不法投棄と捉えられても仕方のない違法行
為である。それが逮捕・起訴されないのは見逃してもらっているだけに過ぎ
ない。

その他にも見逃してもらっているだけで、犯罪と気付かずその行為が繰り返
されるのが現実。

更には、スポーツやゲームなどで現金を賭けて競う場合は幾らでもあるだろ
う。

犯罪と知りながら行われる行為さえ無数にある。それが違法であっても、特
に悪い事ではないと判断しているから繰り返される。

例えば、ある地域で違法な行為が他の地域でも違法だとは限らない。だか
らといって、ある行為が合法な地域を違法な地域の人間が「悪い地域」だと
判断することは稀だ。 違法な地域に住む人間がわざわざ合法な地域に出
向き、普段出来ない事を行いさえする。

元を辿れば、法とは支配者の都合で決められたルールに過ぎない。
つまり、統治を目的とした「決まり事」だ。
折角、国や社会という枠組の頂点に立ち、支配権を手に入れても、その構
成員が身勝手に殺し合い ・奪い合いをやるようでは、税を収めさせるどころ
ではない。
ゆえに、 ルールを定め、統治・支配を滞りなく行う。それが根底にある「法」
の姿だ。 そこに善悪の概念などない。あるのは支配者の統治上の都合。

しかし、法と善悪をごちゃ混ぜに扱う人間が余りに多い。違法と知りつつ行
うのは、別に悪いことじゃないと理解しているからではないのか?
一緒にした方が判り易いだろうが…色々と問題が生じないか?

違法行為なんてのは大抵の人間が気づかずに行っているということを認
識し、更に利己的な都合でその判断基準に緩急をつけないことが大切だ
ろう。
                               upload date :'07.08.30

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