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変態裂破〜Libido named “romance”〜

もはや日本語では「変態」といえば「異常な性欲を晒す人物」を指すような
気配だが、そもそも変態という言葉には「普通ではない・異常」というような
意味しかなく、「変態性欲者」を略して「変態」と表現しているのが現実のよ
うだ。

「変態」の基準も、その時代や文化・社会情勢次第で変化する。
クジラを食べる民族を変態と考える文化もあるようだし・・・。かつて日本で
は同性愛が異常とみられなかった時代さえあるという。女性が素顔を晒す
のが変態である文化・宗教だってある。

「男=スケベ・変態」
主に男性が対象とされた漫画やアニメで、幼児期ある種、洗脳的に植えつ
けられる概念・基準である。少年漫画では、それが意図的な導入にしろ、ハ
プニング的な展開にしろ、男性キャラクターが女性キャラクターから「変態」
という言葉とともに叩かれる・ぶっ飛ばされるようなシーンは頻繁に発見され
る。

異性への興味・性欲を持つこと自体が、変態であり間違いであるかのような
理屈が常識として描写される。そして多くの場合、

「男はそういう(スケベ無しでは生きられない)生き物だから仕方ない」

という理屈で締められる。

ところが一方で女性向けの漫画などはどうかと言えば、発情したヒトだらけ、
恋愛という柔らかい言葉で覆い隠されたエロだらけという具合だ。「少女漫
画の過激さ」が時々話題にあがる。

 少年漫画・・・スポーツや戦闘を描くものが多い
 少女漫画・・・恋愛の要素無しでは成立しない

大体は、そんな傾向だ。性愛の要素のないものには興味を持てない女性
の性質が伺える。それが理解されれば、「男はスケベ・仕方ない」という真
偽の疑わしい理屈で行われる犯罪を軽減・抑制する道も模索できよう。

ここの所、教育学部の学生が児童に対し起こす事件が見受けられた。幼
い異性に対し過剰な好意を抱く成人が、「教員志望」などの児童と接する
機会を得るための行動を晒せば批判されるのは当然だろう。

近頃「児童ポルノ単純所持の処罰化」に関する議論も話題となった。児童
とは18歳以下をさすものであり、男子高校生が女子高校生を写した映像
ソフト等を持つことも問題視される恐れもある。TVなどで映される事も多
いであろう「半裸の未成年男子」は児童ポルノにあたるのかどうかという
問題も出てくる。このあたりの平等性(?)は別の意味で注意して見守りた
い所だ。

年齢差のある異性に発情するのは変態といえるのかもしれない。しかし
特定の趣向が「変態か変態ではないか」という問題と、変態が「良いか悪
いか」は、また別の問題である。

結局は個人レベルで完結している変態行為であれば、特別、問題視しな
くてよいのではないか…。文化や社会情勢・背景も影響する変態の基準
は容易に変動し、変態程度を判断・審査することの意味・価値さえ揺らぐ。

栄養価の高すぎる食物を子供に避けさせる理屈と同様、幼児期に強い刺
激を摂取させない配慮は必要だろうが、性欲という持っていて当然のはず
の意識を異常な変態行為だという常識が植え付けられる現状は見直す必
要もあるだろう。「エロ=有害」と決め付ける指導は、後に説明困難な矛盾
へと発展しかねない。

生物は意識するわけでもなく、欠点を補う方向へと進化を促される。オス
とメスは、それぞれ対極の属性であるがために引かれ合う。男は容姿で
劣るがために、容姿で優れる女を求め、補おうとする。ほとんどの生物は、
遺伝子を引き継ぐための逃れられないサイクルに巻き込まれるが、ヒトは
更に社会という枠組形成によりもたらされた倫理・理性という概念との共生
を求められる。

発情の順序が重要という考え方も出来る。

「発情してから相手を選ぶ」と「特定の相手に対する好意の先にある発情」

では全く違う。

”恋愛”と名づけた性衝動・発情はおそらく変態ではないのだろう。

                                 upload date '08.03.10

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