環境保護
個性教育
循環過程〜life cycle〜

世界は時に無慈悲に生物の命を奪っていく。噴火で。地震で。津波で。

生物間の次元差があればヒトだって他の生き物を無慈悲に殺せる。子供の
頃には蟻を悪戯に潰した人も大勢居るだろう。大人になってからだって、蚊
もハエもゴキブリも平気で殺せる。

その殺戮を無慈悲に行える理由は身体構造に明確な差があるからだろう。
その差のおかげで残酷さを感じずに済んでいる。グロテスクな映像が与え
る衝撃は、それが身近な存在であるほど高まり、遠ければ感じない。

マグロ解体ショーはヒトが喜んで観るだろう。TVで流れるほどだ。
生きたウナギを調理するために頭部に釘を刺して固定し、その蠢く胴体に
包丁を入れて引き裂いていく様子。魚の頭部を包丁で切断する様子。
冷静に考えれば、ひどく残酷な行為が、ヒトを基準に見れば生物的な差が
あるために、さほど残酷さを感じないでいれている。

生きた哺乳類が食肉へと加工される過程はおそらく普通のヒトは観ていら
れないだろう。四足の有無という哺乳類と魚類の明確な差によってヒトが感
じる印象に差が生まれる。

生物は他の生物を糧とせねば生きられない。かつては一般庶民でも哺乳
類を捕まえて殺して解体していたはずだ。

どれだけのヒトが哺乳類を屠殺した経験を持つのか?
生存のため、糧とするため、皆が他の生物を殺すことを覚えるべきなの
か?一般市民が他のほ乳類を殺すことに慣れる必要はないのか?

でも恐らく、食べるために殺す事に罪の意識まで感じなくていいんだと思う。
犠牲の存在さえ認識すれば…。所詮、ヒトも動物。生きて、食べて、成長し
て、子孫を残して、死んでゆく、というサイクルから逃れられない。意思とは
関係なく、生物にプログラムされた行動。そのルールに抗おうとすれば何ら
かの反動ももたらされるだろう。

「神の視点」とでも言うべき客観的視点で、無慈悲に食肉を製造する意思も
肯定せねばならない。哺乳類を殺して食品として加工してくれるヒトとそれを
流通するシステムがなければ庶民へ「肉」は届かない。

食料自給率の乏しい日本。
現状において、何らかの問題が起こり海外からの食料供給が滞れば、この
国は容易く暴動が起こり、かつてない危機が訪れるだろう。せめて、中立的
姿勢を示せれば良いが、あまり期待できない。正体すら曖昧な「敵」に備え
る兵器のために膨大な予算を注ぎ込み続け、改善の気配すら微妙な情勢。
食料よりも軍備に比重が傾くのは疑問が残る。

戦後と戦前では食料供給のシステムにも明確な違いがあるだろう。流通シ
ステムに限った話ではない。
教育も、報道も、法律も。僅か数十年の歴史しかないシステムがヒトを支配
する。

今、生きている人間が実際に目で見てきた歴史は所詮100年程度。
伝えられている過去の歴史にどれほどの真実があるのか?
この僅か数十年の歴史でさえ、権力者の都合で歪められた気配が見受け
られる。数百年前の歴史の信憑性など極めて乏しい。

権力者が客観的な視点を持たねば、歴史は嘘で塗り固められる。

                                upload date '07.12.15

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