恐慌と協調〜structure is manipulated〜
湾岸戦争において日本は「カネだけ出して自国の血は流さなかった」と批判
されたとされている。
接点を持ちすぎた国々、株価の暴落が世界中に伝播する。
「リーマン発の恐慌」とされている。事実はどうだか判らない。
支援と侵略・国際貢献。それらを判断するのは権力者。
日本人は宗教国家の文化への思慮が不足している。
信仰熱心な国家の民は、その地で異文化を流布する存在を嫌悪するだろう。
流布する人間が支援・救済の意思で、自分たちの技術を伝授しようと、
「異教徒の侵略」と捕らえられる恐れがある。
「国際貢献をしなければいけない」
という請求に答える形でのイージス艦給油継続法。
「給油活動は周囲から評価されている」
とされている。
しかし湾岸戦争同様「血を流していない」と批判されても仕方の無い現状。
「軍事活動不参加=国際貢献しない国」
要はその基準に対し、新たな独自の定義を構築できるかが問題だろうが果た
して?
金融危機の今、権力者は国家間のさらなる協調を強調・宣言している。
互換性を無視して干渉しあう現状。
日本国内でも捕鯨・児童ポルノ・死刑制度などの問題において、異文化か
らの廃止改善要求という干渉が度々起こる。
愚かな侵略とテロが続く昨今。
それぞれを尊重し、過度な干渉を制限すべき状況に思う。
他国の軍隊駐留行動など大間違い。
国際貢献という綺麗な言葉で摩り替えて誤魔化しているようなもの。
国際貢献か否かをいざ判断する段階になった時、それを認めさせるだけの
能力があるかが問題。
「国際貢献」の定義も「先進国」の定義も非常に曖昧で、交渉する指揮官の
力量次第なのが現状。
ある意味、絶望的な現状。