環境保護
個性教育
表現能力〜Meaning Of Power〜

「力」と言っても多種多様で、その求められる力は時代や社会情勢によって
全く異なる。

最近公開された中国における男女比だが、不自然な比率で男性の方が多
い世代があるのだという。肉体労働力に優れた男性が求められたのだろう
が、その調整方法に、いかなる人為的なモノがあったのか、非常に黒い部
分を窺わせる…。「女は要らない」そんな思想がかつて存在し、そこに何ら
かの計画的行為があったのでは?と感じる人間は多いだろう。

日本だって、過去には腕力こそが力であり、そのまま人間の価値として判
断される時代があっただろう。しかし、腕力や筋力は情報社会の到来に従
い、野蛮・乱暴というイメージが生まれ、更に伴われる男性的体格は暑苦
しい・むさ苦しいという様な言葉で少なからず批判される。

各種機械の発明により、力の価値は完全に知力・学力・記憶力・思考力と
いう様な脳起源の側へ移行した。

まさに日本で、今争われている「思考力」という力の問題。過去の教育が思
考力が無視されたモノであることは理解している方も多いだろう。欠点や問
題を公開して騒ぐのが大好きな報道メディアによって、学力低下の話題で
賑やかだ。

過去、記憶力こそが学力の価値であり評価されるものだった。現在におい
ても、「それは変わらない。変えるべきではない。」と考える方も居るだろう
し、過去の教育否定に伴う反発や、改定に伴われるだろう労力を考えれば
問題解決の道は険しい。

記憶力と思考力。どちらを重要とするのか?結局それは、判断する立場の
価値感や状況次第…。

実の所、「表現力」が重要なのではないかと思う。表現力と思考力は全く別
のものだろう。

どんなに高い思考力を持っていようと、表現できなければ意味がない。知
識として頭に存在している情報から適切な言葉や図式を選び出して表現
する。表現できなければ、結果的には能力がないのと一緒だ。
その場所で認識されている言語で、考えを表現してこそ、他者が受け取れ
る。他者の知らない言語でしか表現できなければ、他者から観れば表現力
がないのと思考力がないのは結果的に同じ。
表現力があってこそ思考力の価値が生まれる。
表現できなければ誰も受け取れず、評価もできない。
表現するためには、表現に用いる情報を持たねばならない。

表現方法を知らないが為に、思考力の高さが気づかれないヒトというのも
居るだろう。それはもったいない事だ。

義務教育とは、「表現手段の蓄積」といえるのかもしれない。

                                upload date '07.12.07

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