価値転換〜compulsion & operation〜
女性のような顔立ちの男性は今でこそ美形と判断されるようになったが、10
数年前はまだ「女々しい」とか否定的な考えも多かった。
今でこそ持ってて当然のパソコンも十数年前は「オタクの持ち物」という様な
判断がなされた。
それらに関して、今現在に至る何処かの時期に
「価値観の切り替わるタイミング」
があった訳だ。
戦争でヒトを殺したことのあるのが珍しくもなんとも無かった世代。
生まれた時から携帯電話やパソコンが身近なものだった世代。
長く生きている人間ほど、幼い頃を今と比較すれば社会状況の激しい変化
を感じることだろう。価値観の切り替わるタイミングを幾つも経験してきたこと
だろう。
人それぞれが、信じてきたモノの価値が失われる事を、恐れ、回避を望む。
問題の容易く露呈する社会では、それを正当化する理論を組み立てる思考
力が求められる。記憶力ではなく思考力が求められる。
しかし、所変われば思考力が価値を維持できるとは限らない。
腕力が求められる仕事
脚力が求められる仕事
記憶力が求められる仕事
ヒアリング力が求められる仕事
高速筆記が求められる仕事
顔が求められる仕事
指先が求められる仕事
スタイルが求められる仕事
求められる能力は多数ある。
TVや新聞が伝える優劣は大企業や権力者の基準。
「頭の良い人間」が「優れた人間」であるという基準。
「勉強の出来る人間」が「頭の良い人間」であるという基準。
「暗記力の高い人間」が「勉強の出来る人間」であるという基準。
本来、その基準に強制力など存在しない。
円高の問題点を重点に報道し、ねじれ国会の問題点を重点に報道する。権
力者の価値観が全てのヒトと共通であるかのような概念が植え付けられる。
これまでは情報の隠蔽・操作が容易であった。
古い価値観から脱却できない権力者の数々のデタラメが発覚・露呈する。
野球人気の低迷も語られる昨今。果たしてそれは嘆くべきことなのか。ネガ
ティブな報道で自ら火に油を注ぐ滑稽な権力者の自業自得でもある一方、
世界的に見れば少数の野球という娯楽を世間に浸透させた洗脳的な戦後
政策と捉えた場合、それからの脱却は憂うべきこととは言えないだろう。
TVは権力者の期待する洗脳装置としての価値を失いつつある。
upload date '08.04.11