環境保護
個性教育
隠蔽権力

度重なる報道により自重的な作用が生まれるでもなく、繰り広げられるイ
ジメ騒動…。当然か…。提示される対策は過去と大差のないものばかり
で、誰も説得力など感じられないんだから…。

あれだけ騒がれながらイジメを認めず、隠蔽さえ行った学校が話題だ。
これまでの指導のあり方ではイジメは「在って当たり前」なはずだ…。
「イジメを発見出来なかった学校」が問題なのであり、「イジメが在る」事
は仕方のない事なのに…。

イジメがあるのはこの学校の問題ではない。これまでロクな対策が示さ
れていないからだ。この学校・教員も被害者とさえ言えるだろう。問題解
決能力の無い教師ばかりだったのは不幸な事だが、それを批判しても
仕方ないだろう。彼らだけが無能だったのではない。これまで、なんら対
策を打ち出せなかった教育に携わる者すべての責任だ。

時を同じくして、日本の国技にも虐待殺人の話題だ。それも心臓付近の
異常で練習中に死亡したとされる似たような例は過去に数件例があるよ
うだ。あのような場所で、立場の弱い者がストレスの捌け口として暴行の
ターゲットになってしまうのは考えてみれば当然か…。
これまで露呈しなかった事件も10数件程度は同様な例が伺える状態で
「2度と無いようにしたい」などと言われても…。
怪我をすることが前提のような現場では、なんとも色々と難しい問題も
ありそうだが…。しかし、こんな人々って、もしかして健康保健とか無効
で良いんじゃないだろうか…。意図的というほどに怪我しておいて国が
治療費負担するのも可笑しいだろう…。

兎に角、変わらない権力者の隠蔽姿勢が共通する。散々、罰を受けな
い権力者の様子が「政治と金」という側面から晒されてきたのに、次は
「イジメ・虐待」という側面でも同じような状況になってしまうのか…。
「イジメはなくならない」という宣言を権力者が行っているかのような現
状。

誰かに責任を押し付けるようなことになろうとも、十分な地位のある人
間が厳しい罰を受けるような終結を示さねば、権力者のあり方・モラル
は疑問視され、支持を失うだろう。

所詮、法などは「支配者にとっての都合の善し悪し」でしかない。
それを自ら晒すような権力者の有様は、それを見る側がどんな印象を
抱くかを自覚しているのか?
大相撲が元々、文部科学省の管理下にあると言うのには驚いたが、こ
の状態のままではイジメ問題関連の文科省の指導に説得力が生まれ
ない…。

しかも、重要な問題を霞ませるように様々な問題が現れ続けるせいで、
別の事件を隠れ蓑かのように利用し都合の悪い報道を避ける。

誰だって、自分のミスや欠点・汚点が他人に知られるのは避けたいだ
ろう。だから、隠蔽姿勢をあまり批判する気にはなれない。

悪いモノが存在する当然だし、問題視する必要はない。
しかし、権力者の違法行為を罰しないことは問題だ。

権力者が罪を犯せば、規定以上の罰を受けていいと思う。ところが、
ここのところ晒す姿は、地位は犠牲にしても罰を免れる様子や、修正
で済ますだけの様子。

支配者自らが望む、国や社会の枠組みを支配者自ら壊すつもりか?

もはや、いじめ問題は末期症状か…。いや、解決を望もうとするヒトさ
え減ってきているような気配を感じる。

相手の立場でモノを見なくたって良い。でも、せめて中立的・客観的な
立場でモノを見る事は意識すべきだ。

ヒトが優越感への渇望を抑えられるように成れば変わる。
嫉妬の感情だって忘れられる。それは過去にはなかったイジメ予防と
なる。

「自分は特別な存在だ」なんて考えは愚かしい。
「自分は存在価値が無い」なんて考えも愚かしい。

長所しかない人間なんてのが存在できるわけがない。全ては観る位
置の問題だ。ヒトを促す「見えない力」を判りやすく示してやれば良い。

                            upload date '07.10.02


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